本日bridgeは第三火曜日なのでお休みです。

おはようございます、Mukkuです。

 

ゲイバーの帰り道に通学途中の

小学生をみかけたのですが、

ランドセルを背負ってる子が

半分くらいしかいなかったんですよね。

札幌だけってことでもなく全国的なんでしょうけど

なんか寂しいなぁって思いました。

 

確かに機能性とか考えたら

ランドセルである必要性って

実際はないんでしょうけど

個人的にはランドセルって

六年間をともにした友人みたいなもので

凄く愛着もあるし

それにまつわるくだらない思い出って

やっぱあるんですよね。

 

思い出にしがみつくわけでもないけど

でもやっぱりそういう思い出って

あるかないかで全く違うんじゃないかって

思うんですよね。

 

世の中って絶対的な必要性はなくても

意味や価値があることって

少なくないと思うんですよね。

 

例えば、

挨拶だって実は気分的な問題であって

本当に必要かっていうとそうでもない。

あくまで気持ちの問題。

挨拶があるほうが気持ちがいいとか

挨拶がなくていらつくとか

結局気持ちなんですよね。

でも、必要じゃないですか?

おはようございます

こんにちは

こんばんは

おやすみなさい

とか他にも色々と。

 

変化についていかなくちゃいけないんだろうけど

変われば変わるほど

自分の過去がそっと消えていくようで

正直なところ寂しいです。

他にも色々と変化があるんだろうけど

利便性や必要性だけでないナニカも見て

変わっていくといいなって思います。

 

僕のランドセルの中には

小学時代の思い出を入れて

実家の押し入れの中。

今度実家に帰ったときは

中を見返してこようかなって

思う、

そんなある晴れた朝でしたとさ。